このコーナーでは、世界のさまざまな場所で子育てに向き合う女性たちと語り合いながら、「みんなで育てる」という視点を探っています。
今回お話を伺ったのは、中国・江蘇省で語学講師を務めながら、日本人と中国社会の懸け橋となってこられた唐暁珍(タン・シャオジェン)さん。プライベートでは、二人の女の子を育てるお母さんでもあります。
夫の実家で暮らし、家族や親戚に支えられながら子育てをしてきた唐さん。生活習慣や言葉の違いに戸惑いながらも、新しい家族との関係を築き、子育てをしてこられました。
その道のりを、ゆっくりとひもといていきます。
唐 暁珍(タン・シャオジェン)さん
出身地: 中国・江蘇省
現在の居住地:中国・江蘇省
お子さん:女の子2人(中学生と小学生)
―まずは自己紹介を兼ねて、唐さんのふるさとについて教えていただけますか?
私は、江蘇省の如皋市というところにある農村で育ちました。実家には広い畑があって、稲やトウモロコシ、大豆、さつまいもなどを育てていました。小さいころは畑でよく遊んでいましたが、小学生になると畑仕事も手伝うようになりました。母から「農民の子どもは甘やかされちゃいけない。自分にできることは早く覚えなさい」と言われていたんです。
―幼いころから自然に触れながら育ってこられたんですね。
はい。夏に田植えをするとき、父は「苗をしっかり植えてこそ、秋に収穫できる」と教えてくれました。父の言葉どおり、秋にはたくさんの稲や野菜を収穫できました。大変だったけど、両親の言葉はずっと心に残っています。
―ご両親の言葉一つひとつに、暮らしの知恵が詰まっていたんですね。そんな子ども時代を過ごされた唐さんが、現在どんな暮らしをしているのか教えていただけますか?
今は、江蘇省南通市にある「漢和外語センター」という語学学校で、中国語と日本語を教えています。もう十数年ここで働いています。たくさんの成長と温かい出会いを与えてくれる、心から大好きな仕事です。
―お話を聞いているだけでも、お仕事への愛情が伝わってきます。
あと、ここでは比較的時間の自由がきくので、家庭や育児とも両立しやすいんです。親切な上司や同僚がいて、仕事と生活、どちらも大切にできる毎日を送れていることに感謝しています。
爆竹、花火、赤い衣装 ―中国の「にぎやかすぎる結婚式」
―仕事と家庭を両方大切にできる環境って、貴重ですよね。このあたりから唐さんのご家庭についてもお伺いしたいのですが、ご主人とはどのように出会われたんですか?
友人の紹介で知り合い、2012年の国慶節に入籍しました。結婚式は私と夫、それぞれの実家で行いました。
―ご実家で結婚式をされたんですね。素敵です。
田舎では、家で結婚式をすることが多いんです。新郎側と新婦側、両方の家でお祝いします。
―両方の家で行うんですね。ちなみに、中国の結婚式はどんな流れで進むんですか?
まず、中国の結婚式は朝が早いです。当日、新郎は朝5時くらいに起きて、車で花屋さんへ行きます。そして車を花でいっぱいに飾るんです。「花車(ホワチャー)」と呼ばれています。
―私も南通に住んでいた頃によく見かけました。あれって当日の朝に飾り付けるんですね。
そうです。そのあと、介添人たちと6〜8台ほどの車列を組んで、新婦の家へ向かいます。介添人は新郎の親友たちです。ちなみに中国では、6や8は縁起のいい数字とされています。逆に3や5のような奇数は、お祝いごとではあまり好まれません。
―たしかに、中国では偶数が好まれると聞いたことがあります。新郎が到着するまで、新婦はどんなふうに過ごしているんですか?
朝、美容室で髪を結ってもらいます。そのあとは家で支度をしながら待っています。
―あの赤い婚礼衣装を着るんですか? とても華やかですよね。
はい、赤い衣装です。でも私は、普通の赤いワンピースを買って着ました。
中国の婚礼衣装(写真は唐さんのお姉様)
―それも素敵ですね。新郎たちが新婦の家に到着したあとは、どんな流れになるんですか?
まず、新婦の家でみんなで昼食を食べます。私たちのときはレストランで食事をしました。
―結婚式専用のお料理があるんですか?
特別な料理もありますが、基本的には普通の中華料理ですね。
―みんなで地元の料理を囲むんですね。
そうです。昼食が終わったら、新婦は花車に乗り込み、新郎の家へ向かいます。この瞬間、花嫁は両親のもとを離れることを意味します。両親は涙を流しながら見送ります。
―まさに巣立ちの瞬間なんですね。
そうですね。家によっては、庭に水をまいたりします。「泼水(ポーシュイ)」といって、祝福の意味があるんです。「もう実家に戻らないように」という願いも込められています。
―ひとつひとつの習慣に意味が込められているんですね。新郎のお家に着いたあとは、どうなるんですか?
爆竹や花火で迎えられます。
―すごいですね。到着した瞬間に「バババーン!」と盛大に迎えられるんですね。
そうなんです。そして新郎の両親に迎えられて、「婚房(フンファン)」に入ります。
―婚房というのは?
夫婦の寝室を、結婚式のために飾ったものです。部屋中を赤で統一して、ベッドも赤いシーツにします。その布団の中に、落花生や赤いナツメ、蓮の実、龍眼などのドライフルーツを入れておくんです。
婚房のようす(写真は唐さんのお姉様)
―これは何か特別な意味があるんですか?
はい。「早生贵子(早く子どもに恵まれますように)」という意味があります。
―やっぱり家族への願いが込められているんですね。
そうです。それから、その部屋で「汤圆(タンユエン)」という温かいお団子を一緒に食べます。これは「团团圆圆」、つまり家族みんなが円満に仲良く暮らせますようにという意味があります。もう一つ、「白头偕老」といって、白髪になるまで夫婦一緒にいられるように、という願いも込められています。介添人の友人たちも一緒に食べますよ。
―新郎のお友達も、ずっと一緒にいてくれるんですね。
そうです。私達のときは8人来てくれたので、夫婦合わせて10人で一緒に食べました。あと「红糖茶」という赤砂糖入りのお茶も飲みます。義理の両親への感謝を表す意味があります。
―すごく賑やかですね。ちなみに、その红糖茶にも意味があるんですか?
甘いものを食べると幸せな気持ちになりますよね。あと「甜甜蜜蜜」、つまり夫婦仲良く幸せに暮らせるようにという意味もあります。たぶん浙江省や福建省あたりまで、似たような習慣があるんじゃないかと思います。
―素敵ですね。
でも、そのあとは結構大変なんです(笑)。夜になると親戚がみんな集まって、一緒に夕食を食べます。うちは親戚が多くて、200人くらい来ました。
―えっ、200人ですか? それを全部ご自宅で?
そうです。夫の実家に倉庫があったので、そこを使いました。
―倉庫を会場にするんですね、すごいです。ちなみに、200人分の料理はどうするんですか?
料理人を家に呼んで、その場で作ってもらいます。中国ではよくある「农村婚宴(農村の結婚披露宴)」のスタイルですね。
産後1か月、水に触らない? ―中国伝統の産後ケア「坐月子」と、親族間の支え合い
―それにしても200人も集まるなんて、中国の親戚づきあいの濃さを感じます。そうしてご結婚されて、お子さんに恵まれました。
はい、翌年に長女が生まれました。夫はそのころ蘇州という別の街で働いていました。私は義理の両親と一緒に暮らしていました。
―ご主人がいない中で、彼のご実家に住まれていたんですね。
そうです。中国ではよくあることなんです。幸い妊娠中はとくに問題もなく、出産も順調でした。
―無事に出産されたことが何よりです。産後はどんなふうに過ごされたんですか?
退院後は夫の実家に戻りました。義両親は仕事で忙しかったので、私の母に来てもらいました。中国には「坐月子(ズオユエズ)」という、産後1か月はしっかり体を休める習慣があるんです。だから昼間は母が赤ちゃんのお世話をしてくれて、私は横になっていました。でも夜は、私ひとりで全部やっていました。
―「坐月子」は、中国の伝統的な産後習慣ですよね。いろいろと守らなければいけない決まりがあると聞きました。
あります。たとえば「1か月は水に触ってはいけない」と母に言われました。私は1週間くらいでシャワーを解禁しましたけど。
―1か月も水に触れられないのは、かなり厳しいですね。
そうなんです。昔は、お風呂に入るのも歯を磨くのも1か月間禁止だったそうです。でも私は産後1週間を過ぎた頃には、もう全部普通にしていました。
―逆に言うと、最初の1週間はちゃんと守っていたんですね。
そうですね。あと、帽子もかぶらなきゃいけないんです。体を冷やしてはいけないので。
―頭も冷やさないようにするんですね。どんな帽子をかぶるんですか?
薄手の帽子です。家の中でもずっとかぶっています。
―食事についてはどうですか? 好きなものを食べていいんですか?
熱すぎるものは避けますが、それ以外はわりと自由です。最近は「月子中心」という産後ケアセンターを利用したり、「月嫂(ユエサオ)」という産後専門のお手伝いさんを呼んだりする人も多いですね。私は家で過ごしましたけど。
―そう、唐さんのお母さまが家に来て、一緒に生活されていたんですよね。
そうです。でも、私の実家と夫の家のあたりでは、生活習慣がかなり違うんです。車で1時間ちょっとの距離なんですけどね。
―そんなに近いのに、色々と違うんですね。たとえばどんなことですか?
まず、朝ごはんですね。如皋の人は家でおかゆを食べます。でも夫の両親はおかゆを食べないし、そもそも家で朝食を食べません。外で買って、仕事場に着いてから食べるんです。
―朝食から違うんですね。
あと、言葉も違います。私の母は如皋の方言を話しますが、夫の家族は南通弁なんです。この二つは、ほとんど通じません。しかも母は標準語もあまり話さなくて。
―家での会話は方言なんですね。唐さんご自身は、普段どの言葉を話すんですか?
私は普通話か、如皋の方言ですね。だから食事中は、私は静かにしています(笑)。私は独身時代から南通市内で働いていたので、市内の方言は少し分かります。でも夫の実家のあたりは、また別の方言なんです。「あぁ、また覚えなきゃ」って。
―同じ市の中でも、そこまで違うんですね。
はい。エリアごとにいくつも方言があって、初めて聞いたら理解できないレベルです。
―それは驚きです。そうなると、確かにコミュニケーションも大変ですね。
そうなんです。だから母も、南通に来て1週間くらいで帰りたいと言うようになって。本来なら「坐月子」は1か月間しっかり家で過ごすものなんですけど、私たちは2週間ほどで如皋の実家へ移動しました。
―産後すぐの移動は大変だったと思いますが、ご実家で過ごせたのは安心でしたね。
そうですね。そのあと、しばらく産休を取りました。中国ではだいたい4か月前後の産休があります。そして復職が近づいてきた頃、「子どもをどうしようか」という話になったんです。夫は別の街にいるし、義両親も仕事をしている。私も復職しなければいけない。家族で相談した結果、姑の姉、つまり夫から見ておばさんにあたる方に来てもらうことになりました。
―親戚の中で、助けてくださる方がいたんですね。
そうなんです。しかも、おばさんは祖母と一緒に暮らしていたので、二人でうちに来てくれました。
―ご主人からみておばさんと祖母にあたるお二人が、一緒に来てくださったんですね。
そうです。そのまま3〜4年くらい、一緒に暮らしていました。二人とも丁寧に、根気強く子育てを手伝ってくれました。その間、姑がおばさんに謝礼を払っていました。
―親戚同士でも、そこはきちんとけじめをつけるんですね。
そうですね。二人には本当に感謝しています。責任感を持って、愛情深く子育てを手伝ってくれて、本当に助かりました。
産むか、産まないか。二胎政策と、家族の期待のはざまで
―親戚みんなで支え合いながら子育てをされていたなんて、素敵ですね。
ありがとうございます。そうして何とかやってきたんですが、やっぱり生活習慣の違いは大きくて。私ひとりで夫の家族の中に入って、早く馴染もうと一生懸命頑張ったけれど、最初は慣れないことも多かったです。
―言葉も文化も違う中で、ずっと気を張って過ごされていたんですね。
そうですね。それに、長女が小さい頃は近所に同年代の子どもがいなくて、友達と遊ぶ機会もあまりなかったんです。そのせいか、娘が内気で臆病になっていることに気づいて。
―それは心配になりますね。
はい。そんなことが重なって、ある時夫と大喧嘩をしたんです。その様子を見ていた実家の母が、「二人目を考えた方がいいんじゃない?」と言ってきて。きょうだいがいたら一緒に遊べるし、状況も変わるんじゃないかって。
―お母さまが、そう背中を押してこられたんですね。
はい。でも、その時はまだ二人目を産むつもりはありませんでした。それに当時は、そもそも子どもを二人持てない時代だったんです。
―いわゆる一人っ子政策ですね。
そうです。しかし2016年に「二胎政策」が解禁され、すべての夫婦が二人まで子どもを持てるようになりました。それを聞いた母が、「国が許可したんだから、絶対に産んだ方がいい」と。
―時代の流れと、ご家族の思いが絡み合っていたんですね。
そうですね。でも、私の周りの友達は誰も二人目を産んでいません。今も一人もいないです。
―そうなんですね。
やっぱり子育てが大変だから。周りの友達も口をそろえて「よく考えた方がいいよ」と勧めてきました。中国には「好了伤疤忘了疼」(=傷が治ると痛みを忘れる)ということわざがあるんです。みんな、「もう痛みを忘れたの?」って。
―日本にも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という似たことわざがあります。そんな中で、唐さんは二人目を産む決意をされたんですね。何かきっかけがあったんですか?
中国には昔から「重男軽女」といって、男の子を重視する考え方があります。義母もそうで、男の孫を強く望んでいました。「もし二人目を産むなら、私は仕事を辞めて子育てを手伝う」とまで言ってくれて。
―ご家族の中では、二人目を望む声が強かったんですね。
そうです。そしていろいろ考えた末に、二人目を産むことを決めました。そして一年後に生まれてきたのは、また女の子でした。その日、姑が病院に来て、「また女の子だった」と聞いた瞬間、表情がすっと曇ったんです。娘の顔をひと目見て、不機嫌になってしまって。
―そんな……。
私の両親の世代は、男尊女卑の考え方がまだとても強いんです。姑にとっては、二度目の失望だったんだと思います。
―そういう価値観が背景にあるとしても、あまりにも…。まずは「無事に生まれてよかった」という風にはならないものなんでしょうか。
その日は、まったくそんな雰囲気ではありませんでした。実は長女を妊娠していた時も、姑は男の子が生まれることを期待して、男の子用の服ばかり準備していたんです。小さなコートやズボンなど、全部男の子向けのデザインでした。でも実際に生まれたのは女の子で、姑の期待は外れてしまいました。
―そこまで男の子が望まれるのには、どんな理由があるんですか?
家の姓を継げるからですね。女の子は結婚すると家を出て、夫側の家に入るという考え方があるので。
―なるほど、中国では、結婚は女性が男性側の家に入るという感覚が強いんですね。
そうです。だから、姑が「子育てを手伝う」と言っていた話もいつしかなくなり、態度もだんだん冷たくなっていきました。
復職、ワンオペ、遠距離育児。母として揺れ続けた8年間
―時代の影響があるとはいえ、出産直後にそんな態度を向けられるのは悲しいですよね。そんな中、二人目の産後はどのように乗り越えられたんですか?
二人目の「月子」のときも、実家から母が手伝いに来てくれました。加えて、長女のときに来てくれたおばさんとおばあちゃんもまた来てくれたんです。
―それは心強いですね。ということは、常に三人の女性達が近くにいてくれたわけですね。
そうです。ただその頃には、おばあちゃんの体が少し不自由になって、一階の別の部屋で過ごしていたんです。そしてことあるごとに、下から大声でおばさんを呼ぶわけです。それにおばさんもずっと応えていて、大変そうでした。
―それぞれに事情があったんですね。なんだか、子育てを手伝うというより、まず日常を回すだけでも大変そうです……。
そうなんです。だからもう、みんなそこにいるだけ(笑)。授乳している時も、ずっとこっちを見てる。もちろん、いてくれるだけで助かる部分もあるんですけど。
―そうですよね。でも、ちょっと落ち着かないですね(笑)。
落ち着かないです(笑)。それでだんだん頭痛がしてきて、結局2週間後にまた如皋の実家へ戻りました。
―張りつめていたものが、一気に体に出てしまったのかもしれませんね。
そうかもしれません。でも、その時は夫がすごく頼りになりました。長女が生まれた時は、夫は子どもの世話をあまりしていなかったんです。何をしたらいいか分からなくて。でも今回は違いました。赤ちゃんの世話を一から勉強して、たくさん分担してくれたんです。
―ご主人も、父親として大きく成長されたんですね。
そうですね。次女の妊娠中、夫に「もし二人目も女の子だったら、がっかりする?」と聞いたことがあるんです。すると夫は私の手を握って、「失望なんてしないよ。男の子でも女の子でも同じ。健康ならそれで十分だよ」と真剣に言ってくれました。
―その言葉は、本当に支えになったでしょうね。
はい。しかも、ちゃんと有言実行してくれました。どんなに忙しくても妊婦健診についてきてくれたし、先生に言われたことも一生懸命メモしていました。出産の日も、産室の外でずっと待っていてくれて。生まれたあとも、私と赤ちゃんの世話をたくさんしてくれました。粉ミルクの作り方を覚えて、赤ちゃんをお風呂に入れて。
―お子さんとともに、ご主人も成長していかれたんですね。
そうですね。でも、子どもが二人になると、生活はやっぱり苦しくなりました。だから3か月の産休が終わると、私は急いで職場に復帰しました。次女はしばらく如皋の母に預けることにしました。
―そうなんですね。生活のためとはいえ、お子さんを預けるのは胸が痛みますよね。
そうなんです。当時は次女のことが本当に心配で、実家と南通を週に何度も往復していました。仕事の疲れも重なって、息つく暇もなくて。次女が1歳半になった頃、ようやく市内で預け先が見つかって、また一緒に暮らせるようになりました。
―ようやく、ご家族でまた暮らせるようになったんですね。
そうです。でもその頃には、夫の仕事がさらに忙しくなっていて。子どもたちの世話も家事も、ほとんど私ひとりでやってきました。毎日走り回って、気づけば8年経っていました。
―8年間、走り続けてこられたんですね。そんな中で、唐さん自身を精神的に支えてくれていたのはどんな存在ですか? やっぱりご主人でしょうか。
夫もそうだし、同僚の先生たちにもたくさん支えてもらいました。あとは実家の母や、上海にいる実の姉ですね。普段からよく連絡を取り合っていて、週末には子どもたちも一緒に遊んだりします。
愛情とは「一緒に現実を生きる」こと
―やっぱり、いざというときに頼れるのは親族なんですね。中国の家族のつながりの深さを感じます。ご家族の愛に支えられながら子育てをされてきた唐さんに、最後にお伺いしたいのですが、唐さんにとって「愛情」とはどんなものですか?
難しい質問ですね。もちろんロマンチックな愛情も大切ですが、それ以上に大事なのは「現実から目を背けないこと」だと思っています。リスクをともに引き受けられるか、人生のいろいろな困難にともに立ち向かえるか。その中でお互いを尊重し、心遣いをすることも大切ですね。
―一緒に現実を生きられるかどうか、とても大切な視点ですね。「心遣い」という言葉も出ましたが、唐さんは普段ご主人にどんなふうに心遣いをしているんですか?
できるだけ、言葉や行動で伝えるようにしています。夫もここ数年でずいぶん変わりました。出勤前に子どもを抱っこしたり。昔はそういうことはあまりなかったんです。
―やっぱり、気持ちは表現してこそ伝わるものですね。
本当にそう思います。私も、産後にお世話になった親戚のおばさんたちには、毎年服や食べ物を送っています。中国には「红包(ホンバオ)」といって、春節に親戚同士でお年玉を渡し合う習慣があるのですが、毎年欠かさずおばさんにも渡しています。
―離れていても、感謝の気持ちをきちんと届け続けているんですね。
そうですね。姑も少しずつ変わってきました。春節になると、毎年子どもたちに红包をくれるんです。子育てを積極的に手伝うタイプではないけれど、姑なりの形で愛情を示してくれているんだと思います。
―お姑さんにも、お姑さんなりの愛情表現があるんですね。
そう思います。直接言葉にするのが苦手でも、いろいろな伝え方がありますから。あと、中国では昔から、恋愛や結婚において「犠牲」が美徳とされる部分があります。相手のために自分を犠牲にすることが美しい、という考え方。でも私は、少し違う考えなんです。
―そうなんですね。
はい。私は、お互いが対等であることを大切にしたいです。古い価値観に無理に従う必要はないと思っています。それよりも、二人の間にある精神的なつながりを大切にしたい。結婚生活でも、「この考え方はもう自分たちに合わないな」と感じたら、見直していく勇気も必要だと思うんです。
―時代や価値観が変わる中で、自分たちなりの関係性をつくっていくことが大切だとお考えなんですね。
そうですね。そういう意味で、愛とは自己成長の一部なのかもしれません。昔からある恋愛観や結婚観を見直しながら、いい部分は受け継いでいく。でも自分たちに合わなくなったものは手放して、新しい形を探していく。その両方が、愛にとって必要なことだと思います。
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