【前編】大変は「大きく変われるチャンス」 ―乳がんと母子生活を経て見えてきた道

丸の内の会社に勤務する高橋智絵さん。私生活では二児のママです。

夫の転勤により、平日はひとりで子どもを育てながら働いてきた高橋さん。2021年には乳がんが発覚し、多くの人々に支えられながら回復までの道のりをたどってきました。現在は夫の海外転勤にともない、一時休職して家族でシアトルの隣町ベルビューに暮らしています。

多くの縁に支えられた日本での母子生活、そして高橋さんの現在について、二回にわたって振り返っていただきました。


第一子の妊娠中、夫が単身赴任へ

リース会社に一般職として勤務していた高橋さんは、2017年に第一子を妊娠します。しかしほぼ時を同じくして、夫が大阪へ転勤することに。その後、無事に長男を出産した高橋さんは、育児休業のあいだ家族で大阪に暮らすことを選びます。


「家族が一緒にいられるうちは一緒にいたいと思って、育児休業の間だけ家族三人で大阪に暮らすことにしました。とくに子どもが小さいときは、家族みんなで過ごしたいという気持ちが強くて」


高橋さんにとってはじめての大阪生活。最初は戸惑うことも多かったといいます。しかし持ち前の社交性で、少しずつ自分の世界を広げていきました。


「最初は友だちもいないし、子どもと二人きりで孤独を感じることもありました。だから昼間はできるだけいろんなところへ出かけていきました。子育て関連のイベントに参加したり、公園でおじいちゃんと仲良くなったり。そうこうしているうちに知り合いが増えて、結局最後はすごく楽しんでいました」


一年十ヶ月にわたる大阪滞在を終え、復職のために関東へ戻ってきた高橋さん。長男の保育園も決まり、母子ふたりの生活がいよいよはじまりました。そのころ高橋さんのお腹には、すでに第二子が宿っていました。まわりからは心配の声も多かったと振り返ります。


「でも何事もやってみないとわからないので。まずはやってみようと思いました」


母子生活のリアル

夫が帰宅するのはおよそ二週間に一度。それ以外の日々は、近くに住む両親のサポートを得ながら乗り切っていました。


「子どものお風呂や寝かしつけ、食事の介助など、ひとりで大変なことは確かにあります。幸い実家が近かったので、両親の協力を仰ぎながらなんとかやっていました。ときどき父が保育園の送迎を手伝ってくれたり、母が夕食を作って持ってきてくれたり。親とはいえ負担をかけてしまうので、感謝の気持ちとして一定の食費を支払っていました。ひとりでは大変な買い出しなども手伝ってもらえたのは助かりました」

朝、子どもたちを保育園へ送るときの一コマ。高橋さんのお父様撮影


実家や保育園のサポ-トを心強く思う一方、日曜日に夫が大阪へ戻るときには孤独を感じることもあったといいます。


「夫は土曜の朝に帰ってきて、日曜のお昼過ぎにはあちらへ戻るのですが、『じゃあね』と見送る瞬間にはなかなか慣れませんでした。自分が寂しいというより、子どもが一番寂しいので。でも夫も疲れているなか帰ってきてくれるわけだし、月曜からまた仕事と思うと、こういう形がベストなのかなと。あのころは『ドラえもんのどこでもドアがあればいいのに』とよく思っていました」


そんななか、子どもがお父さんの存在をできるだけ身近に感じられるよう工夫を重ねました。


「当時はよくテレビ電話をしていました。時間をみて、今ならいけるかなというタイミングで子どもと一緒に電話して。夫と子どもの距離が離れないよう、コミュニケーションは絶やさないようにしていました」


夫との連携を図りつつ、家庭の外でもできるだけ人とつながるよう努めてきました。


「母親ひとりだからといって寂しい思いをさせたくなかったし、私自身もそう思いたくなかったので、常に楽しいことを探して行動していました。子育ては子育てで大変だけど、そんななかでも自分自身の楽しみや癒やしを探すためにアンテナを張っていました」


そのために、当時は自分自身の「好き」ととことん向きあっていたといいます。


「自分の好きなことをキーワードにして、あれこれイベントを検索していました。たとえば私は英語や絵本が好きなので、絵本の読み聞かせイベントや、英会話の先生が主催されるカフェなどを探しては出かけていましたね。幼児教育にも関心があるので、いくつか教室にも通っていました。そこで先生方と子どもたちとの関わりからいろいろなことを学んだり、子育ての悩みを相談したり。そういうつながりがあることで、孤独じゃないと感じられたし、私自身も子育てについて学べる機会になっていました。あとは年の近い子どもたちを対象にしたイベントにもよく参加していました。子どもの年齢が近いと悩みも近いし、親同士で会話がはずむことが多いので」


どこにいても自分の世界を広げるための極意は、フットワークの軽さだといいます。


「当時私は千葉に住んでいましたが、東京や神奈川くらいまでは行動範囲でした。東京で行きたいイベントがあれば、子どもを連れて気軽に通っていましたね。新幹線を使わずに日帰りで行ける距離なら、基本的にどこへでも行きます。自分で行動範囲を狭めないようにしています」


高橋さん流の「ナンパ術」

行く先々で不思議と人に囲まれる高橋さん。高橋さんのいるところには、なにか面白いことが起こりそうだと思わせる雰囲気があります。そんな高橋さんの友だちづくりの極意は、独自の「ナンパ術」だといいます。


「昔から人に興味があって、初対面の人に声をかけたり打ち解けたりするのは得意なほうです。素敵だなと思う人がいたら、とりあえずアプローチしてみます。一歩踏み出してコミュニケーションを取ってみないとはじまらないので」

高橋さんが普段どんなふうにママ友を「ナンパ」しているのか、具体的なテクニックについても伺ってみました。


「まず前提として、人と会うためにどこかへ行くというわけではありません。面白そうと思って出かけてみると、誰かがいて、話が盛り上がって、また会いましょうといって連絡先を交換するパターンが多いです。そのとき意識しているのは相手との距離感です。相手も話したいと思っているのか、そうじゃないのか。話したそうにしている人は周りをチラチラ見ていたりするから、『あっ』と目が合う瞬間があって、『こんにちは』と会話がはじまります。次回また会えるかどうかも、連絡先を交換するときの相手の雰囲気でなんとなく感じ取ります。相手も『すごくうれしいです』という雰囲気だったら、また会えるかなと思うし。相手の空気感はよく見ていますね」


自分からアプローチするだけでなく、相手が話しかけやすい雰囲気を作ることも意識しているそうです。


「その場にいる人たちの雰囲気に広くアンテナを張るようにしています。誰か特定の人と話していても、常にオープンな雰囲気を出すようにしています。そうしていると『何を話してるんですか?』と近寄ってくる人がいて、グループができていくんですよね。そうして複数の人が集まったら、みんなで連絡先を交換して、また遊びに行こうというパターンが多いです。複数のほうが会話もはずむし、自宅に招いてパーティーなどもしやすいから」

ムードメーカーの高橋さんが場づくりにおいて心がけていることは、なによりまず自分自身がその場を楽しむことだといいます。


「自分が楽しめる空間を自分で作ることをいつも心がけています。自分が楽しめない場は、他の人も楽しめないと思うから。相手に楽しんでもらうためには、まず自分自身がその場を全力で楽しむ。そこで何かユニークなことをして、相手が楽しんでくれたら自分も楽しい。たとえ数分でもそんな時間を過ごせたら、いい一日だったなと思えます」


慌ただしい母子生活のなかでも、人とのつながりを保ち、うまく楽しみを見つけながら生活してきた高橋さん。そんな高橋さんの暮らしは、乳がんの発覚をきっかけに一変します。後編では、多くの人に支えられながら過ごした回復への道のりと、高橋さんの現在について伺います。

100人で子育てをすることにしました。

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