森谷真弓さん(フリーアナウンサー・インタビュアー 2児の母)
東京メトロやゆりかもめをはじめ、全国鉄道の車内アナウンスを担当する森谷真弓さん。2004年の東京メトロ発足時から数え、キャリアは今年で22年目を迎えます。毎日の通勤通学はもちろん、旅行や出張先などで一度は彼女の声を聞いたことがある方も多いはず。
私生活では2児の出産を経験し、車内アナウンスという仕事への向き合い方や人生観にも大きな変化があったそうです。今回はそんな森谷さんにロングインタビューを実施し、車内アナウンスという仕事の裏側から出産を通しての変化まで、さまざまな角度からお伺いしました。(全3回)
あるラジオCMをきっかけに言葉の世界へ
全国733万人もの人々を日々声でご案内する森谷さん。ほかにもCMナレーションやブライダルMCなど、声に関わる分野で活躍の幅を広げています。しかし意外にも、はじめから声の仕事を目指していたわけではないとか。
「もともと大学では心理カウンセリングを専攻していました。心理について学びながら、人の心や感情についての話を聴くのが好きで。だからはじめから声の仕事を目指していたわけではありませんでした。でもある日、大学の授業であるラジオCMを耳にして、その内容に心を奪われたんです。その日はみんなでラジオCMを聴いてイメージについて話し合う授業だったのですが、そこで取りあげられていたのがナショナル(現パナソニック)のCMでした。たしか子どもたちが暗闇のなかで『明かりが灯った』『光が灯った』と口々に言っていて、そこに男性のナレーションで『おや、同じ意味でもなにか印象が違う』と入る。最後に『ナショナルの明かり』という一言で終わる15秒くらいのCMでした。短い内容なのですが、そこで表現された『明かり』と『光』という言葉のイメージに心を奪われて。今でも当時の衝撃を覚えているくらいインパクトのある出来事でした。こんなふうに言葉で人を感動させられるってすごいな、私もそうなりたいなと思ったのが、言葉の仕事に興味を持ったきっかけです。じゃあそれを学ぶにはどうすればいいだろうと考えたとき、アナウンス学校に行くことを思いつきました」
アナウンス学校で出会った求人が人生を変えた
こうして森谷さんは大学に在籍しながらアナウンス学校に通いはじめます。そしてそこで出会った求人が森谷さんの人生を変えることになります。
「ある日、クラスの先生が求人を持ってこられたんです。『学校宛にこんな求人があったから、今から全員デモテープを撮るよ』と。それが東京メトロの車内アナウンス募集でした。その場で全員並ばされ、問答無用で一人ひとりブースに入り、『次は○○駅』と収録をして。先生がその音源をデモテープにしてくださり、あとは各自で送りなさいと指示があったので、それに従って気づけば送っていました」
そこから半年ほど経ったある日、森谷さんのもとにひとつの知らせが届きます。
「先生いわく、2次審査があるから行ってきてと。すでに半年ほど経っていて、何のことかも分からなかったのですが、聞けば東京メトロ本社での面接らしいと。でも事前にもらえた情報は日時と場所くらいで、実際に何をするかなど詳しいことはわかりませんでした。当日とりあえず指定された場所へ向かい、面接会場に入ったら、東京メトロの社員の方々が10名くらいずらりと並んでおられて。長いテーブルにぽつんと座り、とりあえず自己紹介をしたのを覚えています」
とまどいながら受けた東京メトロ本社での面接。20年以上が経った今でも忘れられない場面があるそうです。
「いろいろと質問をされた後、電車にまつわるエピソードを聞かせてくださいと言われたんです。何が正解なのかもわからなくて、頭が真っ白になりかけて。でもここは正直にいこうと思い、そのとき胸に浮かんだことをお話ししました。まず、電車は楽しいというよりむしろ頑張って乗っていますと。当時私は東京に出てきたばかりで、電車そのものにも慣れていなかったので、いまだに毎回緊張しながら乗っていますとお話ししました。あと私は背が低いので、人が多いときはつり革に上手くつかまれない時があるんです。そんなときは仁王立ちで踏ん張りながら体幹を鍛えています、みたいなお話もしました(笑)。それを言った瞬間、面接室が見事なくらいシーンとなって。あぁ、絶対にご縁はないだろうな、と思いました」
車内アナウンスのキャリアのはじまり
しかしそんな森谷さんの予想に反し、一年ほど経ったある春の日にまた知らせが届きます。
「先生から突然、収録がはじまるよと知らされて。『えっ、なんのですか』って。とりあえず初日に読む原稿だけ事前に渡されて『収録ですね、わかりました』という感じで当日現場に向かったら、それが本番だったんです。そこで広辞苑みたいに分厚い原稿を渡されて、収録がスタートしました。なにせ営団地下鉄から東京メトロに変わる時だったので、すべての路線と駅名を収録し直さなければならなかったんですね。いざ収録ブースに入ると、ガラス張りの向こうに東京メトロの方々が大勢いらっしゃって。すべてがはじめての経験でした。収録をしている最中も、ひとつ原稿が終わるたびに『次はこれです』とあらたな原稿が来て、それが終わったらまた次、という風にどんどん来るんですよ。そんな感じで3ヶ月くらい収録が続きました」
手探り状態のなか、ひたすら目の前の原稿と向き合う日々。自分なりのアナウンスを模索するなかで徐々に立ち戻っていったのは、面接のときに話した電車への率直な思いでした。
「いろんな電車のアナウンスを参考にしようとした時期もありましたが、どの路線も経験豊富なプロがなさっているわけで。自分とは完全に違うなと思ったんです。自分はこういう風にはできないなと。じゃあどんなアナウンスならできるかと考えたときに、私はやっぱり乗客の皆様に少しでも疲れを癒やしていただき、ほっと安心していただけるようなアナウンスがしたいと思ったんです。電車に乗るときって、緊張したり疲れたりしているときもありますよね。そんな思いが少しでも癒やされ『今日も一日頑張ったな』と思っていただけたらと。だから面接のときに話したことは、あながち咄嗟に口から出てきたことでもなく、今につながる私の原点だったのだと思います」
それぞれの街に合ったアナウンスでその街を楽しんでほしい
こうして車内アナウンスという世界でキャリアを歩みはじめた森谷さん。普段の収録の様子について教えていただきました。
「収録は毎回決まった都内のスタジオでしています。全国の新幹線や都営バス、JR山手線などもそこで収録されているそうです。昔からあるスタジオなので、原稿を置く場所が段ボールだったり、高さを調節するためにタウンページを下に引いたり、いろいろ工夫しながらやっています。そういう環境だからこそ緊張せず収録に向かえる面もあると思います。収録を担当してくださるのも22年間ずっと同じ方で。その方のOKが出たら私もOK、という感じでやっています」
収録が決まったら毎回念入りに下調べをするそうです。自宅から行ける距離なら実際に乗車してみて、乗客の表情や街の雰囲気から感じ取ることを大切にしているそう。
「駅名の読み方から、乗客数や観光地の有無など、さまざまな情報をチェックします。実際に乗車できれば、お客様の様子や目的地の雰囲気、ノイズの状態なども細かく観察します。車内に設置されている機械の種類によっても聞こえ方は変わりますが、それぞれの駅や路線の雰囲気によって声のトーンや早さなどを工夫しています。たとえば銀座だと、やはり高級感があって華やかなイメージ。だからアナウンスも落ち着いたトーンにします。一方、浅草などは観光地で賑やかな雰囲気なので、アナウンスも明るめのトーンで。それぞれの街の雰囲気に合ったアナウンスでスムーズに下車していただき、その街を楽しんでいただけたらと思いながら臨んでいます」
ひとつの駅名を読み上げるために、さまざまな準備を重ねる森谷さん。その根底にあるのはやはり「乗客の皆様の疲れを癒やし、ほっとしていただけるようなアナウンスがしたい」という思いです。中編ではそんな思いにつながる過去の体験や、森谷さんのアナウンスをきっかけに来日したあるハンガリー人青年との交流などについて伺っていきます。また2018年からはじまった育児との両立生活や、森谷さん流のオン・オフ切り替え術についてもお話を伺います。
取材・文・編集:岸 志帆莉
中編はこちら:
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