「孤育て」の日々をふりかえる #1:母子生活になったいきさつ

こんにちは。


この「ふりかえる」というコーナーでは、私が子育てを少しずつ外へ開いていった道のりを振り返っていきます。


夫の転勤をきっかけに母子3人で暮らした約一年間のこと、当時3歳と0歳だった息子たちをひとりで育てる日々のなかで気づいたこと、苦しかったこと、逆にうれしかったこと―。つれづれと綴っていきたいと思います。


ところでこのブログをご覧くださっている方の胸には、

「そもそもなんで、3歳&0歳の子たちをひとりで育てるシチュエーションになったの??」

という疑問が浮かんでいるかもしれません。


確かにすこし特殊なケースではあると思うので、まずはそのいきさつからお話しすることにします。


母子生活になったいきさつ

2021年の秋。コロナ禍の真っただなか、第2子となる次男を出産しました。

当時は家族の立ち会いどころか面会も禁止、出産時もマスク着用という異例づくしの出産でしたが、子どもは無事に元気で生まれてきてくれました。


そこから約1ヶ月後のこと。次男を寝かしつけ、自分もひと寝入りしようと思ったタイミングで、夫に声をかけられました。そしてその場で、中国への転勤が決まったことを告げられました。

寝不足で頭がうまく回らず、はじめは出張の話かと思いながら聞いていました。しかし、次第にどうやら「転勤」らしいということが分かってきました。さらに、受け入れ国側の事情により、帯同家族が渡航できるまでには一年ほどかかりそうだとの説明を受けました。

(ちなみにそれ以前に、そもそも夫の転勤に帯同するのか? 私の仕事はどうするのか? といった問題もありました。ただそこについては、そのテーマだけで別の連載が書けるくらい長くなってしまうので、別の機会に譲ることとします)


つまり、夫の転勤についていくかどうかはさておき、いずれにしても春から最低1年は母子3人だけで暮らしていかなければならない事が判明しました。


産後1ヶ月でふりかかった突然の事態。しかもその時点で、夫の渡航までに残された時間は半年を切っていました。まだハイハイすらはじまっていないであろう次男と、イヤイヤ期まっさかりの長男を、ひとりで育てていく……。その生活をイメージしてみようとしましたが、寝不足と体力不足で脳がうまく働きませんでした。

もちろん、これは夫にとって素晴らしいキャリアのチャンスです。また海外で暮らすという経験自体、彼の人生にとって貴重な時間になるはずだと思いました。私自身、過去に海外で暮らしたり働いたりした経験から、これは彼の人生にとっていいことになるだろうと思いました。

だから、


「いってらっしゃい!!子どもたちのことは心配せず!仕事頑張って!!」


と諸手を挙げて送り出してあげたい気持ちは山々でした。そして、実際にそうするわけなのですが、内心ではいつも、


「私にひとりで子育てなんてできるのかな……。何かあったらどうしよう……」


という心配が拭えなかったことを覚えています。


次の投稿では、そんなこんなで迎えた母子生活のはじまりと、当時の様子を振り返っていきたいと思います。

100人で子育てをすることにしました。

メディア「100人で子育てをすることにしました。」は、 "弧育てから「公育て」、そして人との交わりのなかで子どもたちを育んでいく「交育て」へ" をテーマに、偶然出会えた誰かと手を取りあいながら、子育ての日々を紡ぎなおすことを目的としたメディアです。