【前編】お母さんが自分に優しくいられる社会であってほしい ―台湾の産後ケアが教えてくれたこと

台湾で2人の子どもを育てながら、台湾の産後ケア文化を日本に広めるべく起業準備をしている多田真紀子さん。前職では婦人科系の医療機器メーカーに勤めるなど、キャリアを通して女性の健康というテーマに携わってきました。

そのかたわら、私生活では仕事と育児との両立に悩んだり、夫の仕事の都合で一時的に母子生活を経験したりと、さまざまな転機にも直面してきました。「お母さんはもっといたわられていい、母親が自分に優しくいられる社会であってほしい」と願う多田さんに、その背景にある経験や想いについて伺いました。


「女性の健康」という軸との出会い

学生時代から音楽活動をしてきた多田さんは、大学卒業後、映画監督の事務所で働きはじめます。背景には「何かをつくることに携わりたい」という想いがありました。


「当時は資金集めから宣伝、監督補佐から配給まで、あらゆる業務に携わっていました。ゼロから作品を生み出す監督のもと、たくさん経験を積ませていただきました。仕事は充実していたのですが、将来に漠然とした不安を抱えて自分を見失いそうになるときもあって。気分の浮き沈みに悩むこともありました。そんななか、6年間で2作品を作り終わり、事務所としても一区切りというタイミングで少し仕事から離れることにしました。アメリカの西海岸で3ヶ月過ごし、帰国したあと転職活動を経て、婦人科系の医療機器メーカーで働きはじめました」


映画業界から医療機器メーカーへと、まったく異なる業界へ転身した背景には、あるきっかけがありました。


「映画業界にいたころから、女性の体のしくみや月経、性といったテーマに関心がありました。最初のきっかけは、何気なく受けた子宮頸がん検診で思いがけず再検査になったことです。検査のために婦人科に通うなかで、気分の浮き沈みなどの不調を医師に相談したところ、月経前症候群(PMS)について教えていただきました。それまでは生理前後の感情の変化を自分でコントロールすることが難しく、身近な人に指摘されてショックを受けることもあったのですが、婦人科的な視点から改善できるかもしれないと知ったのは救いでした」


そんななか、たまたま紹介された婦人科系医療機器メーカーの求人に心が動きました。


「転職活動中は別の映像関係の会社へ就職が決まりかけたこともあったのですが、自分のなかに芽生えていた『女性の健康に関わりたい』という思いとこの求人が合致し、転職を決めました」


産後ケアとの出会い

そうして多田さんは医療機器メーカーで働きはじめます。マーケティングや宣伝などの業務に邁進するなか、結婚して第一子を妊娠。安定期に入ったころ、台湾人のご主人からある意外な提案を受けました。


「夫から『子どもは台湾で産む?』と提案されました。突然のことに驚いてしまったのですが、聞けば台湾では産後ケア(※産後の母体回復のためのケアや育児支援を行うこと)の文化が根付いていて、それに特化した施設もあるとのこと。産後ケアの重要性についても説明されたのですが、お金もかかるし、なかなか踏み切れずにいました。すると『じゃあ日本で産後ケアの施設を探そうか』ということになり、まずは情報を調べることにしました」

中国語(台湾華語)の妊娠出産に関する書籍


そうして動き出したものの、産後ケア施設を利用することに対し、最初はためらいや葛藤もあったといいます。


「子どもでなく、自分のケアのためにお金を使うことに対して抵抗がありました。もちろんありがたい気持ちもあるのですが、自分自身にそこまでお金をかけていいのだろうかという思いが拭えませんでした」


しかし夫からの強い勧めもあり、見学に行ったひとつの施設を予約。第一子を出産後、そこに3週間ほど滞在します。施設では赤ちゃんのお世話や母体のケア、育児指導などさまざまなサポートを受けました。


「授乳から赤ちゃんの抱き方、沐浴の仕方まで、育児に関するサポートを24時間受けることができました。そのほか託児や洗濯、母乳マッサージなどのサービスもありました。出産直後はなにもかもがチャレンジで、授乳ひとつとっても苦労の連続ですが、助産師さんをはじめプロのスタッフに慣れるまでサポートしてもらえたのは大きな安心につながりました」

第一子の産後ケア施設での沐浴指導の様子


いざ産後ケア施設に入ったものの、最初はまわりをうまく頼れない時期もあったと振り返ります。


「母親なんだから私が見なきゃという思いが常にあり、最初は赤ちゃんを少しのあいだ預けることにも抵抗がありました。今日はまだ気力が残ってるから自分で見ようと思って、泣く子どもを抱っこしながら夜中に廊下を歩き回っていたこともあります。でもスタッフさんから『休んでくださいね』と声をかけていただいたり、先輩ママさんから『これから育児は休みなく続くんだから、今の状態で子どもを預けなくていつ預けるの?』と背中を押されたりするなかで、少しずつ人に頼ることを意識していきました。赤ちゃんの誕生という大きな変化を少しずつ受け止めながら、母親になる準備をさせてもらえたと思っています」


産後は毎日がチャレンジだったと振り返る多田さん。そんななかで支えになったのは、同じ施設に宿泊していたママたちの存在でした。彼女たちとは、子育ての同志と呼べるような関係へと発展していきます。


「毎日みんなでご飯を食べながら、『昨日はぜんぜん子どもが泣き止まなくて』と悩みを分かち合ったり、『助産師さんがこんなこと教えてくれたよ』など情報交換をしたりしていました。いい息抜きになったし、何より自分がひとりではないことを実感できました。子育てにおいて一緒に手を取る人がいることの大切さ、肩にかかった重みを分け合える仲間がいることの素晴らしさを知りました」

宿泊していた産後ケア施設の個室で


ママ友づくりにエネルギーを注いだ育児休暇

産後ケア施設で「同志」の大切さに触れた多田さんは、退院後も人とつながるべく、積極的に外へ出かけていきます。


「育児教室や子育てイベント、産後体操クラスなど、積極的に出かけては仲間づくりに励みました。そこで出会ったママ友とランチをしたり、一緒に別のイベントに行ったりするなかで、ママ友の輪がどんどん広がっていって。そのうち人を誘うことが趣味のようになり、外を歩けばママ友に会うような状況になりました」


もともとそこまで社交的な方ではなかったと前置きしつつ、当時は「ママパワー」で無敵状態になっていたと振り返る多田さん。そんな彼女にママ友づくりの極意を伺ったところ、自己開示という答えが返ってきました。


「ママ同士だと自分の話をすることにためらいを感じることもありますが、こちらから自己開示をすることで、相手も心を開いてくれることはあります。ここまでにしておこうという殻を少し破って、『私こういう仕事をしていて』みたいに育児以外の情報をちょっと入れてみるとか。そうしていくうちに互いへの理解が深まり、仲も少しずつ深まっていくんですよね」


出産という経験を共有しているママたちは、それだけで同志になれるポテンシャルがあると多田さんは言います。


「出産って、自分の内側をさらけ出す行為みたいなところがありますよね。その体験を共有しているだけで『同志感』が出るということを、産後ケア施設での日々から学びました。みんな赤ちゃんという小さな生き物を生かすために必死ですよね。その経験や思いがあるだけで、立派な同志と言えるのではないかと思います。出会ったばかりのママ友とも、そういう話をすることでつながりを持てるという自信が得られました」

マドレボニータ(産後バランスボール体操教室)での一コマ


復職後に突きあたった壁

多くの仲間に囲まれ、充実した育児休暇を過ごしてきた多田さん。しかし復職を果たした先に、大きな壁が待ち受けていました。


「いざ復職すると、仕事も手一杯なうえに家庭もままならないという日常が待っていました。時短勤務で復職したのですが、スケジュールは毎日朝から夕方まですし詰め状態。帰宅したあとも、今度は育児と家事に追われ、ソファに5分腰掛ける暇すらありませんでした。一日中動きっぱなしの生活で、このままではだめだとさすがに危機感を覚えました」


こうした状況に陥った原因を、多田さんは次のように分析します。


「育休中は仲間に恵まれて楽しく過ごしていましたが、はじめての育児に追われ、復職に向けた準備などはあまりしていませんでした。それに外ではそれなりに賑やかに過ごしていましたが、家の中ではやっぱりひとりで育児をしていたんですね。産後ケア施設での学びがあったにもかかわらず、いざ自宅での育児がはじまると、すべて一人でこなそうとしてしまって。まさにワンオペ状態でした」


そのような「ワンオペ」状態に陥った背景には、自身に対するある種の思い込みがあったと振り返ります。


「復職してからも、育児と家事をすべてひとりで背負い込もうとしていました。毎日早起きして、お味噌汁を作って、夕食の支度まで完璧にこなそうとして。ひとりでやらなければいけないという固定観念は思いのほか強かったんですよね。家がおもちゃで散らかっているときも、夫が『掃除を外に頼もうか』と言うのに対し、自分が責められているようにすら感じていたんです。常に『良い妻、良い母、良い女性』でいなければいけないという謎の思い込みがありました」


充実した産後を過ごしてきたにもかかわらず、復職を機に大きな挫折を味わった多田さん。後編では、その体験を糧に子育てを少しずつ外へ開いていった様子と、多田さんの現在について伺っていきます。


後編はこちら:

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