【後編】お母さんが自分に優しくいられる社会であってほしい ―台湾の産後ケアが教えてくれたこと

台湾で2人の子どもを育てながら、台湾の産後ケア文化を日本に広めるべく起業準備をしている多田真紀子さん。前職では婦人科系の医療機器メーカーに勤めるなど、キャリアを通して女性の健康というテーマに携わってきました。

そのかたわら、私生活では仕事と育児との両立に悩んだり、夫の仕事の都合で一時的に母子生活を経験したりと、さまざまな転機にも直面してきました。「お母さんはもっといたわられていい、母親が自分に優しくいられる社会であってほしい」と願う多田さんに、その背景にある経験や想いについて伺うインタビューの後編です。

前編はこちら:

台湾の産後ヘルパー「月嫂」(ユエサオ)との出会い

第一子の育休中、たくさんの仲間に囲まれて充実した日々を過ごした多田さん。しかし復職後、仕事と子育てを両立させることの壁に直面します。「ソファに5分腰掛ける暇すらなかった」という復職生活を経て、第二子を出産した多田さんは、ある大胆な方法で脱・ワンオペの道を歩みはじめます。


「もうあんな日々を繰り返してはいけないと思い、民間の家事育児サポートを積極的に活用することにしました。その第一歩として、2人目の産後に台湾から月嫂(ユエサオ)という産後ヘルパーを招き、自宅に住み込んでもらうという決断をしました」


月嫂(ユエサオ)とは、中華圏に普及する産後専門のヘルパーのことです。産後の1ヶ月間、産婦のケアや育児指導、赤ちゃんの世話などのサポートを24時間体制で提供します。


「これらのサポートに加えて、家事や家族のケアまでしてもらえて助かりました。家族の食事を作ってもらったり、長女の保育園の送迎や遊び相手をしてもらったり。最初は1ヶ月だけの予定だったのですが、あまりにメリットが大きく、その後も間隔を空けて何度か来ていただきました。そのうちだんだん家族のような存在になり、今でもお付き合いが続いています」

第二子の産後にお世話になったユエサオさん

ユエサオさんが作ってくれた食事


復職に向け、家事育児サービスを模索

ユエサオとの出会いにより、家の外からサポートを取り入れるメリットを実感した多田さんは、復職に向けてさらなる選択肢を模索していきます。


「ファミリーサポートやシルバー人材センターなど、いろいろなサービスを試しました。ちょうどそのころ『チーム育児』をテーマとしたオンラインコミュニティができて、そこの仲間たちと情報交換をしながら、自分なりの育児チームを作ることを目標にさまざまなサービスを開拓していきました」


模索する日々のなかでは、いくつかの壁にも直面しました。


「あれこれ試していくなかで、我が家では『夕方の一番忙しいときに育児と家事を少しずつ手伝ってくれる存在』が必要だとわかってきました。でも子育てと家事では専門が異なるということもあり、両方を少しずつお願いできて、かつ条件に合うようなサービスを当初はなかなか見つけることができませんでした」


そんななか、解決への糸口は意外なところにありました。この意外な出会いが、その後の多田さんの生活を大きく支えていくこととなります。


「最終的に、フェイスブックで知り合った台湾人のご近所さんにサポートをお願いすることにしました。フェイスブックに日本在住の台湾人コミュニティがあって、そこで自分たちが必要としていることを書き込んだら、近所に住む方から反応があって。面談のために一度自宅に来ていただき、双方合意して個人契約でお願いすることにしました。そこから週に3回くらい来ていただくようになり、ずいぶん柔軟に対応していただきました。その方のおかげで、復職してからも心の余裕を保つことができたと思います」

お世話になったご近所の台湾人のお手伝いさん


夫が台湾へ、母子生活のはじまり

そんななか、多田さん一家に大きな転機が訪れます。コロナ全盛期の2022年、夫が仕事の都合で台湾へ長期出張することに。その時すでに多田さんは第二子の育児休暇から復職していました。母子3人でしばらく暮らすことになった矢先、波乱が待ち受けていました。


「母子生活がはじまった矢先、子どもの保育園でコロナ感染者が急増し、やむを得ず自宅保育をしながら在宅勤務をすることになりました。そこからの1ヶ月は、自宅保育をしながら在宅でメール対応をしたり、子どもたちにテレビを見せながらなんとかミーティングに参加したり。しかも当時、約1年かけて進めてきた大きな仕事がちょうど山場を迎え、精神的にも体力的にもギリギリの状態でした」


そんな状況で支えになったのが、前述の台湾人のご近所さんでした。隔離期間やコロナの蔓延期を除き、可能なかぎり自宅に来て支えてくれました。


「日中は彼女が子どもたちを見ていてくれたので、少なくともその間は別室で仕事をすることができました。もちろん同じ屋根の下にいるので、私がいる部屋に子どもが来たり、ミーティングに乱入してきたりといったこともあって、結局子どもが寝静まってから深夜に仕事をしたこともよくありました。そんな生活が続くと正直心も体もボロボロになりましたが、彼女のおかげでなんとか首の皮一枚でつながることができたと思います。彼女がいなければ、仕事もすべて諦めなければいけなかったと思うので。さらにその数ヶ月後、夫が日本の会社を離れ、台湾国内の会社に転職することが決まりました。夫が単身赴任で台湾へと旅立っていったタイミングで、追い打ちをかけるように私たち母子3人が立て続けにコロナに感染してしまって。そこから3週間、母子3人だけの長い隔離期間を過ごし、やっぱり母子だけの生活は続けられないということを痛感しました」


子育てを通して出会ったご近所さんに、育休時代からのママ友たち。地元の人々との絆が深まるにつれ、住んでいる街への愛着も深まっていきました。しかし、ここで多田さんたちは大きな決断を下します。先に台湾へ赴いていた夫の意志を尊重し、家族で台湾へ移住することに。子どもたちはそれぞれ5歳と3歳になっていました。

台湾への引っ越しの一場面


「当時、東京の豊洲という街に住んでいたのですが、豊洲を離れる決断をしたときに言い知れぬ寂しさが襲ってきました。仕事面はなんとか心の整理をつけられたのですが、豊洲という街に対しては、移住を決めた後も、さらに移住後もずっと心が残っている感覚があって。それまで豊洲に根を張って子育てをしてきて、街を歩けばおはようと声をかけあえる存在があって、子どもたちも地域の保育園で大きくなり、保護者同士も定期的に会ったりバーベキューをしたりといった関係性があって。そういうつながりをすべて置いて生活環境を変える決断をするのは簡単なことではありませんでした。でも豊洲での経験があったからこそ、台湾でもまた一からそういう関係を築いていきたいと今では思えるようになりました。そのために同じマンションの台湾人ママ友さんと交流したり、日本語補習校に親子で参加して自分も日本語や文化を子どもたちに教えたりと、あれこれ試行錯誤しています。あのとき豊洲で感じていたように、この土地に根を張って、この土地で生きていく努力をしたいと思うから」

豊洲にて


多田さんのこれから

台湾に根を張って生活していくため、日々奮闘している多田さん。キャリアの面でも、いま新たな目標を胸に抱いています。


「台湾では産後ケアに代表されるように、赤ちゃんだけでなく母親の体も大切にするという考えが社会全体で共有されています。この母親の健康に対する日本と台湾の考え方の違いに、大きな衝撃を受けました。私自身、これまで妊娠から産後に至るまでときに苦しい思いをすることもありました。でも女性達がこんなにさまざまな想いを抱えながら体を使って命を育んでいることは、普段なかなか社会の表に出てきません。そこで自分に何ができるだろうと考えたとき、幸いにも私は台湾式の産後ケアを受け、その体験を通して『母親の体を大切にする』という台湾の価値観に触れることができました。だからそうした考えを日本にも紹介したいと思い、事業を始める準備をしているところです」


台湾の産後ケアとその価値観を紹介するため、多田さんが目をつけたのは食でした。


「台湾では、漢方や薬膳を通して健康を保つことで生涯元気でいられるという考え方が根づいています。そのため台湾の産後ケアも薬膳や漢方をベースとした食文化が基本となっています。だからまずはその食文化を紹介できたらと思い、台湾にある産後ケア養生食の会社と契約を結び、商品を日本へ輸入するための準備をしています」

台湾の日本語補習校で授業をしている時の一コマ


お母さんはもっといたわられていい

学生時代から「何かをつくることに携わりたい」という思いを抱いてきた多田さん。まさに今、新たな価値観を社会に広めるべく、事業づくりに奮闘しています。「お母さん自身の心と体を大切にしてほしい」と願う背景には、豊洲に暮らしていたころのもうひとつの体験がありました。


「長女が一歳のころ、地元の子ども家庭支援センターに行ったときにかけていただいた言葉が心に残っています。長女が一人遊びをしていたら、その場にいた支援員の方が『お母さん、すごいですね』と声をかけてくださって。子どもならまだしも、親の私が突然褒められてびっくりしていたら、『お子さんがこうやって一人遊びに集中できるのは、お母さんがそれだけ安心できる環境を作ってあげられているからです。だから、お母さんがすごいんですよ』と言ってくださって。そこで気づいたのですが、それまで子育てをしてきて、自分が褒められたことはなかったんですよね。親がどれだけ頑張っても、普通は子どもに目が行くじゃないですか。確かに自分も一生懸命やってきたけど、そんな風に褒めてもらったことはなかったなと気づいたとき、涙が出てきました。そのときはじめて、自分も頑張ってきたということを受け止め、肯定することができたと思います。それはあくまで一例ですが、お母さんってもっといたわられていいと思っているんです。お母さんが自分の体や心に優しくあることを許せる社会であってほしい。そのためにもまずは母親自身が健康で心地よく、笑顔でいられることが大切だと思っています。お母さんがそうあってこそ、子どもたちも幸せでいられると思うから。そんな未来を実現できるきっかけとなるようなことを、これからやっていきたいと思っています」

100人で子育てをすることにしました。

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