こんにちは。
このブログでは、私がいわゆる「弧育て」をしていたころの様子と、そこから育児を少しずつ外へ開いていった道のりをお伝えしています。
前回からは「ワンオペ育児でしんどかったこと」というテーマで、当時大変だったことについておもに身体の面から振り返っています。
今日は、心の面から当時のことを振り返りたいと思います。
子どもたち(とくに長男)に起こった変化 ―こころ編
当時を振り返るとき、体の大変さもそうですが、やっぱり心に一番ずーんと響いてくるのは精神的なしんどさです。
自分ひとりですべての意志決定をしなければいけないことへのプレッシャー。2人の子どもたちの命をひとりで守っていくことへの責任感。一瞬たりとも他の誰かと交代できない緊張感。そして、これらの負担や不安を誰とも共有できない孤独――。
これらに加え、私のなかでもっとも深刻だったのは子どもたちの心への影響です。
とくに3歳の長男にとって、父親に会えないストレスは想像以上に大きいようでした。
「なんでお父さんは帰ってこなくなっちゃったの?」
そう言っては毎晩のように泣く長男。お父さんに会いたがる息子のために、当時はよく中国にいる夫とビデオ電話をしていました。しかし通話が終わってお父さんの顔が消えてしまうと、その瞬間にまた泣き叫んでしまう。そこで、長男が寝るまで電話をつないだまま「リモート寝かしつけ」をするようになりました。夫も海外赴任1年目でいろいろ大変だったと思いますが、できるだけのことをしてくれたことに感謝しています。
しかし、3歳という年齢を考えれば当たり前のことですが、長男にはそもそも「なぜお父さんが帰ってこないのか」が理解できません。なぜお父さんは今ここにいないのか、どうしてお母さんのスマホのなかに入ったきり出てこなくなってしまったのか。それがわからなくて混乱しているのです。
「お父さんはいま、中国でみんなのおうちを探してくれてるんだよ。来年には中国でみんなでまた一緒に暮らせるようになるよ」
そう言っても、3歳の長男からしてみれば知ったこっちゃありません。「来年」という時間もわからないし、中国がどこかも知らない。3歳児にとって、今日いない人はずっといないのと同じことです。
そうして長男の食欲はみるみる減っていきました。大好きだった公園の遊具にも関心を示さなくなり、赤ちゃん返りのような素振りを見せるようになりました。それまで可愛がってくれていた弟にも手を上げるようになりました。さらにチックと思われる症状が出たときにはさすがに保健所に相談に行きました。
「この子に起こっている変化は自分のせいかもしれない。発達に悪影響を及ぼしたらどうしよう……」
子どもたちの心に空いた穴を埋めるべく、なんとかせねばと思いました。これまで以上に愛情表現を心がけ、お父さんとお母さんがどれだけ愛しているかを毎日身振り手振りで伝えました。寝る前に子どもたちが生まれたときの話をしては、「生まれてきてくれてありがとう」と伝えました。さらに手のひらを息子たちの胸に当てて「ゴゴゴゴゴゴ~~」とガソリン注入みたいに愛情を注ぐ遊びを開発したりもしました(これは今でも続いています)。
それ以上に、とにかく毎日変わらない暮らしを続けることを心がけました。毎朝起きて、ごはんを食べて、幼稚園に行って、遊んで、笑って、泣いて、寝て……。そんないつもの暮らしを紡ぎつづけることに専念しました。
(当時3歳の長男。近所の公園にて)
そんな当時、ぼんやりとよく考えていたのは「なんでこんなことになっちゃったのかな」ということです。
べつにだれか特定の個人が悪いわけではないし、夫が悪いわけでももちろんありません。その背後にある一企業に責任を帰せるほど単純な問題でもない。なんだかよくわからないけど、でもしんどいのはしんどい。やり場のない思いがぐるぐると渦巻いては、よく悶々としていました。
そんななか、ついに100人での子育てにつながるきっかけとなる出来事が起こるのですが、それについては次回に譲りたいと思います。
ちなみにワンオペ育児の当事者や経験者の方々のなかには、こうしたエピソードを読んでつらくなる方もいらっしゃるかもしれません。そんな時は無理に読み進めず、どうかご自身を大切にしていただけたらと思います。
今は、私個人にできることを模索するなかで「誰かのかわりに小さく叫ぶこと」が一つではないかと思ってやっていますが、私にとっても試行錯誤のプロセスです。
自分の半径5m以内の世界から、たとえさざ波のようでも波及していけることを、このブログを通して模索していきたいと思っています。どうか、無理のない形でゆるりとお付き合いいただけたらと思います。
次回に続きます。
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