きっかけはある日突然に ー「孤育て」の日々をふりかえる #5

こんにちは。


このブログでは、私がいわゆる「弧育て」をしていたころの様子と、そこから育児を少しずつ外へ開いていった道のりをお伝えしています。


ここ数回は「ワンオペ育児でしんどかったこと」というテーマで、当時の様子について心と体の両面から振り返ってきました。

今日は、「100人での子育て」への一歩を踏み出すきっかけとなったあるアクシデントについて振り返りたいと思います。


(前回まですこし重い話が続きましたが、今回あたりから少しずつ希望が見えてきますので、よろしければお付きあいください)


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夫がいなくなって以来、沈みがちな長男への対応に悩んでいたある日のこと。

夕食の最中に、長男が突然「のどがいたい」と言いはじめました。


その日の食卓には、魚がありました。一応骨抜き処理がされたもので、目視でも骨がないか確認して取り分けていました。でも、もしかしたら小さな骨が残っていたのかもしれない……。急いで長男の口を開かせ、喉の奥を確認しました。でも外から見えるかぎり、骨らしいものは見当たりません。


あわてて夜間の救急相談ダイヤルに電話し、隣区の夜間診療を紹介していただきました。そしてタクシーを呼び、すでに寝ていた次男をおんぶして、長男の手を引いて3人で乗り込みました。

病院に着くと、すでに夜の8時半を過ぎていました。暗い廊下を通り抜け、診察室に通されると、医師の先生が入ってこられました。その瞬間、長男は大パニック。


長男:「注射やだ~~~!!!!!!」

先生:「注射はないよ、大丈夫だよ~」


必死で逃げ出そうとする長男を、看護師さんと2人がかりで押さえ込みます。そうして親子で汗ぐっしょりになりながら診察を受け、喉の奥まで検査してもらいました。しかし、やっぱり異常はなし。ふと気づけば長男は「もうなおった」とかいってケロッとしている。結局なにが原因だったのかは分からずじまいでした。


お会計後、子どもたちを引き連れて放心状態でタクシーに乗り込みました。帰宅後、子どもたちを寝かせ、私もくずおれるようにその場で寝ました。


そして翌朝。起きてリビングに入ると、昨夜の干からびかけた夕食が食卓の上にありました。その光景を見て、母子生活の現実がずんとのし掛かってきた気がしました。


そんなドタバタの毎日を過ごしていたある日のことでした。

朝、目覚めた瞬間に体に強烈な違和感を覚えました。まず布団から出ようとしても頭が上がらない。まるで天井から体中を強い力で押さえつけられているかのように、指一本動かすこともできない。同時に、耳の奥あたりに激痛を覚えました。しかもなぜか左側だけ。そして脳をつんざくような痛み、めまい……。


なにが起こっているかわからないまま、とりあえず長男には自分でパンを食べてくれるよう頼みました。次男には夜通し授乳をしているから、栄養的には問題ないはず……。そう考えて、とりあえずふとんの中でしばらく休むことにしました。


長男はさすがに母親の異変を感じ取ったのか、時々ちょっかいを出しつつひとりで遊んでくれていました。そうして布団に伏せているうち、昼頃までには少しずつ体が動かせるようになってきました。


ようやく自分の体をよっこらしょと洗面所へ持っていき、鏡を見た瞬間に衝撃を受けました。


顔の左半分が、赤い斑点で覆われていたのです。大きな赤い虫刺されのような斑点が、顔の左半分を覆うようにいくつも……。


(もう、ダメだこりゃ……。)


そのまま布団に戻り、スマホのアプリでタクシーを呼びました。どの科に行けばいいかすら分からなかったものの、とりあえず耳の痛みが一番つらかったので、耳鼻咽喉科に行くことにしました。


そして待合室で診察を待っていたときでした。スマートフォンに知らない番号から着信がありました。待合室を離れてかけ直してみると、「ホームスタートこうとう」という子育て支援団体の担当者の方でした。


実は、自宅の布団で休んでいる間に、スマホでこの団体へ自分から問い合わせをしていたのでした。それは長男を出産したときに区から案内されて知った団体でした。「もし将来なにかあったら、頼ってみてもいいかもしれない」と思って、ウェブサイトだけブックマークしていたのでした。


この団体につながったことが、その後の私の生活を大きく変えることになりました。今にして思えば、100人での子育てにつながる一歩を私はあのとき踏みだしたのでした。


そのあたりのお話は、次回の投稿で振り返っていきます。


(文字数の関係で、希望がはじまる少し手前のところで終わってしまいました……。次回からは明るい話題に入っていきます)

100人で子育てをすることにしました。

メディア「100人で子育てをすることにしました。」は、 "弧育てから「公育て」、そして人との交わりのなかで子どもたちを育んでいく「交育て」へ" をテーマに、偶然出会えた誰かと手を取りあいながら、子育ての日々を紡ぎなおすことを目的としたメディアです。