「孤育て」からの脱出 ー「孤育て」の日々をふりかえる #7

こんにちは。

このブログでは、私がいわゆる「弧育て」をしていたころの様子と、そこから育児を少しずつ外へ開いていった道のりを振り返っています。


前回は、「100人での子育て」への一歩を踏み出すきっかけとなったあるアクシデントについてお話ししました。

今日は、これをきっかけに地域の子育て支援団体とつながり、いよいよ「孤育て」脱却へのスタートラインに立つまでをふりかえります。


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病院の待合室で順番を待っていたときでした。

子育て支援団体「ホームスタートこうとう」の担当者さんから電話がかかってきました。こちらの状況を話すと、さっそく翌週に面談を組んでいただけることになりました。


面談の日の朝。

チャイムが鳴りドアを開けると、女性が2名でお見えになっていました。


てっきり、電話で対応していただいたオーガナイザーさんが1名でいらっしゃるものとばかり思っていました。私ひとりの相談に対し、わざわざ二人連れでお越しいただいたことにびっくりし、恐縮してしまいました。


ただ、2名でお見えになった理由は次の瞬間にわかりました。

そのうちのお一人が、子どもたちを誘って隣の部屋で一緒に遊びはじめてくださったのです。もう一人のオーガナイザーさんいわく、「彼女が子どもたちを見ていてくれますので、ゆっくりお話しましょう」とのこと。


つまり、わざわざ2人で来てくださったのは、私がしばし子どもたちから離れ、少しでもリラックスして話せるようにとのご配慮からでした。


オーガナイザーさんの親しみやすい雰囲気のためか、当時は人見知り気味だった長男もすぐに心を開き、ノリノリで遊びはじめました。0歳の次男も泣いたりせず、落ちついた様子で抱っこされていました。

長男力作のブロック作品


この配慮のおかげで、おそらく次男を産んでからはじめて両手が空いた状態で誰かと会話をすることができました。槇原敬之さんではありませんが、いつもより眺めがいい左右に少し戸惑ってしまうほどでした。


子どもたちがそばにいると、良くも悪くも「母親スイッチ」が入ってしまい、自分のことは後回しにしがちになります。また子どもたちの前では話しづらいこともあったりします。その意味でも、このご配慮は本当にありがたかったです。


なごやかな雰囲気のなか、面談がはじまりました。面談というよりは、リラックスした会話のなかで私の状況をヒアリングしてくださるような形でした。


このとき、私は自分の不甲斐ないところも含め、すべて正直にお話ししようと決めました。ここで遠慮や隠し事をしたら問題の解決にならないし、わざわざ2名でお越しいただいた意味も薄れてしまうかもしれないと思ったからです。だからこの際、すべて正直に打ち明けようと思いました。


まず、夜間授乳のためにもう何ヶ月もまとまった睡眠が取れていないこと。片づけても片づけても荒れていく部屋に途方にくれていること。親として子どもたちをうまくケアできていないと感じていること。じつは体調を崩して以来、長男を幼稚園に連れていくことすらできていないこと。自分のせいで長男の教育や成長の機会が奪われているのではないかという罪悪感。かといって、体がうまく動かないことへの焦り。いまの生活環境が子どもたちの将来に悪影響を及ぼすのではないかという恐怖、先の見えないしんどさ……。


話をしている間中、オーガナイザーさんはなにも否定せず、ひたすら耳を傾けてくださいました。ひとこと話し終わるたび、オーガナイザーさんはこちらの心情に添ったあたたかい言葉を返してくださいました。冷えきった心が融解していくような心地がしました。


ひととおりヒアリングが終わると、オーガナイザーさんは私の不安を一つひとつ書き出して整理してくださいました。そしてそれぞれの課題に対し、解決のアプローチの方向性まで提案してくださいました。


その詳細については、つぎの投稿で振り返りたいと思います。

100人で子育てをすることにしました。

メディア「100人で子育てをすることにしました。」は、 "弧育てから「公育て」、そして人との交わりのなかで子どもたちを育んでいく「交育て」へ" をテーマに、偶然出会えた誰かと手を取りあいながら、子育ての日々を紡ぎなおすことを目的としたメディアです。