大学で看護学の研究に携わっている田村晴香さん。もともとは保健師として、乳幼児の家庭訪問などを担当しながら子育ての現場に深く関わってきました。またご自身も3児のママとして、周囲の人々とうまく関係を築きながらチーム育児を実践されています。
仕事とプライベートの両面から子育てを見つめてきた田村さんは、子育て中の人こそ「助けて」と言える力を育んでほしいと語ります。そのような思いに至った背景や、ご自身の子育てにおける実践などについてお話を伺いました。
出産やいのちに興味を抱いた原体験
田村さんが看護の道に進むことを決めたのは高校生のときでした。その決意の背景には、ご自身の生い立ちが関係しているといいます。
「私は双子として生まれたのですが、生まれてきたときはすごく小さかったそうです。そのことを知ってから、出産の大変さやいのちの大切さ、面白さなどについて考えるようになりました。また家族や親戚に医療系の仕事をしている人が多く、親たちの背中を見ながら自然と医療の道を志すようになりました」
そして田村さんは大学の看護学部に進学します。そこでの出会いが田村さんの進路を方向づけることになります。
「大学に入学後、学生が性の健康について保健指導をするサークルに入りました。そのサークルはもともと保健所の支援のもとで運営されていたのですが、そこで保健師さんたちの仕事に触れ、地域の健康を守る仕事があることを知り、面白そうと思ったのが保健師を目指したきっかけです」
忘れられないママたちとの出会い
「地域の健康を守る」というテーマに興味を抱いた田村さんは、そのテーマについてより深く学ぶため、まず大学院に進学します。そして卒業後、晴れて行政保健師となった田村さんが担当したのは、乳幼児の家庭訪問や乳幼児健診など親子の健康を守る仕事でした。
「保健師の仕事は、基本的にとてもハッピーな仕事だと思っています。人々が健康でよりよい毎日を過ごすための支援をしていくという点で、とてもやりがいのある仕事です。なかには各種スクリーニング検査など、ふるいにかけているような見方をされることもありますが、これらも体の悪いところを探すこと自体が目的ではなく、その人が健やかに過ごしていくための方法を一緒に考えていくためのものです。そういう意味で、基本的にとてもポジティブな仕事だと思っています」
一方、厳しい境遇のなかで子育てをするママたちの姿にもたびたび触れてきました。田村さんにはいまでも忘れられないいくつかの出会いがあります。
「今でも思い出すのは、役者をしている彼との間に子どもができて10代後半で出産したママのことです。彼の所属する一座が私たちの街に公演に来たとき、ふたりは出会って子どもに恵まれました。でも彼らは数週間おきに各地を転々とするようなスケジュールで動いていて、それに彼女もついていきたいと言って、高校卒業後に彼と一緒に各地を転々とする生活に入りました。ただ、そうするとやっぱりなかなか生活が安定しないんですね。たとえば赤ちゃんの健診から予防接種まで、毎回場所が変わってしまうんです。今回は九州で4ヶ月児健診、つぎは東北で予防接種……というふうに。幸いおばあちゃんが毎回手続きをサポートしておられたのと、まわりにも助けてくれる人が多かったのは救いでしたが、この先どうなるんだろうと心配だったので、細く長く関わっていこうかと仲間内では話していました。ただ私たちが案ずるそばで、本人はいたって明るくあっけらかんとしていましたが…… 」
ほかにも印象的な出会いがありました。
「10代前半で出産したある女の子のことも記憶に残っています。赤ちゃんの父親となった彼もおなじく10代で、両方の親もあまり頼れない状況で。いつもしんどそうで、よく泣きながら電話をくれました。もともと彼女はあまり学校に行けていなくて、難しいことは理解がしづらかったんですね。だから『資料を読んでおいて』といっても理解が及ばなかったり、『こうやって』といってもなかなか伝わらなかったり。だから赤ちゃんの予防接種のときも、『ここのクリニックに何時に行くんだよ』と何度も細かく伝えてようやくできるという感じでした 」
そう振り返りつつ、「でも単純に支援が手厚ければいいというわけでもない」と田村さんは補足します。支援における最大の目的は、その人が自立して生活していけるようになること。そのために田村さんが当時から意識してきたのは、その人にとって支えとなりそうな場所やコミュニティとの仲介役を果たすということでした。
「やっぱり最終的なゴールは、本人がその地域で自立して暮らしていけるようになることです。そのためには、まずはご本人を見守りつつその人自身の行動を待つことが大切です。ただこの少女のようにハイリスクなケースの場合、ひとりの保健師だけでなく、できるだけ多くの目で見守っていくことが必要なこともあります。彼女のときもできるだけ多くの目に見守ってもらえるよう、さまざまな場所に一緒に出かけて人との接点を増やすようにしていました。そうしていくなかで、子ども会の役員さんや公民館の職員 さんなど、いろいろな方に顔を覚えていただけて。次第に街を歩いているだけで『あの子元気にやってたよ』と声をかけてもらえるようになりました。彼女自身もそういうことを嫌がる子ではなかったので、自発的についてきてくれたのは幸いでした」
田村さんによれば、このように人と支援をつなぐことは保健師の大切な役割のひとつだそうです。しかし、せっかく必要な支援につなげたいと思っても、相手がそれを受け入れてくれない場合もあるといいます。田村さんによれば、とくに子育て中のママにおいてそのようなケースが多いのだそうです。日本のママには「受援力」が足りないという田村さんに、いまなぜ受援力が必要なのか、そして田村さん自身の子育てにおける実践についても後編で伺いました。
※個人情報保護の観点から、本文中の事例については一部情報を変更しています。
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