森谷真弓さん(フリーアナウンサー・インタビュアー 2児の母)
東京メトロやゆりかもめをはじめ、全国鉄道の車内アナウンスを担当する森谷真弓さん。2004年の東京メトロ発足時から数え、キャリアは今年で22年目を迎えます。アナウンスの仕事をはじめた当時はまだ学生であったことも話題になった森谷さん。アナウンスを通して自分自身が提供できる価値を模索するなかで、ある原点の思いにたどり着きます。それは「乗客の皆様の疲れを癒やし、ほっとしていただけるようなアナウンスがしたい」というもの。
今回はそんな思いにつながる過去の体験や、東京メトロの「声」を守るために意識しているオン・オフ切り替え術、そして育児との両立などについて伺っていきます。(全3回)
前編はこちら:
それぞれのアナウンスに通底する思い
ひとつの駅名を読み上げるために、さまざまな下調べや準備を重ねていく森谷さん。駅名以外にも、一つひとつのアナウンスにさまざまなメッセージを込めているそうです。
「たとえば終着駅のアナウンスは、旅の終わりを意識しながら『お疲れ様でした』と心を込めて。また妊娠中や乳幼児をお連れの方へ配慮をお願いするアナウンスも、『どうかご協力をお願いします』と願いを込めながらアナウンスしています。ひとりの優しさがきっと誰かの力になるし、そこで救われる気持ちもあると思うので。それぞれの場面を思い浮かべながら、私なりに思いを乗せて収録しています」
場面ごとに込めるメッセージは違っても、森谷さんのアナウンスにはあるひとつの願いが通底しています。それは「電車に乗るすべての人が今日も無事に帰ってきますように」という願い。命や安全に対する願いの背景には、森谷さん自身の過去の体験があるそうです。
「個人的な話ですが、過去にいろいろと苦しさを抱えていた時期があって。自分の足りない面ばかり目についたり、他のアナウンサーの方々と自分を比較して落ち込んだり、理想と現実のギャップに苦しんでいた時期がありました。東京メトロさんのお仕事に対しても、私で本当にいいのかなと思いつめてしまったり。人と一緒にいるときはいいのですが、一人でいるときや移動中などにふっとそんな思いが襲ってくる。そういう経験があるので、電車に乗っているときくらい何も考えずリラックスしていただきたいという思いがあるんです。それに電車に乗るって、それだけですごいことですよね。いま電車に乗っているということは、どこかへ行って、誰かに会ったり何かをしたりしようとしているわけですから。だからどうかお気をつけて、元気で帰ってきてくださいね、と願いを込めています。微力ではありますが、少しでもつらい気持ちが癒えるようなアナウンスをしたいという思いが根底にあります」
言葉や国境を越えて届いた思い
アナウンスの裏側に込めた森谷さんのそんな思いは、いつしか海を越えてある青年のもとに届きました。ハンガリー在住のラースローさん(当時22歳)。東京メトロの大ファンで、すべての駅名を暗記するほどの博識ぶり。そんな彼が最初に東京メトロに興味を持ったきっかけが、なんとYouTubeで聞いた森谷さんのアナウンスだったそうです。2016年に放送されたテレビ東京『世界!ニッポン行きたい人応援団』で初来日し、憧れの森谷さんとも対面を果たしました。
「まさか海の向こうのハンガリーから来日されるなんて思いもよらないことで。言葉を越えて何かを感じ取ってくださったのかなと思うと感動しました。しかもその後、日本の電車の世界で働きたいという目標を持たれたそうで。夢や目標って生きていくうえで大きなエネルギーになりますよね。誰かの人生にそういう形で関われたと思うとうれしかったし、私自身も救われました」
森谷さんいわく、電車は「人生の次のステップに行くための旅路」。その旅のなかでたとえ一瞬でも誰かに寄り添い、日常の応援者になれることが車内アナウンスという仕事の魅力と語ります。
「乗客の皆様からすれば本当に一瞬だし、直接の関わりですらありません。でも人生の瞬間に少しでも寄り添わせていただいているという自負が、私にとってのやりがいです。電車という空間を通して、次へ向かうエネルギーを少しでも蓄えていただけたら。その一端にでもなれたら、車内アナウンスとして本望だと思っています」
「お母さんの愛」で送り出したい
私生活では2018年に長男を、2024年に長女をそれぞれ出産した森谷さん。子育てを通して、仕事への思いや人生観などにも大きな変化があったそうです。
「以前は自信をなくしたり責任に押しつぶされそうになったりした事もありましたが、出産を通して少しずついろんな自分にマルを出せるようになってきた気がします。未来についてもよく考えるようになり、将来への希望も見いだせるようになりました。生きていくことはとても地道で、日々さまざまな感情を経験しますが、どんな瞬間も未来につながっているんですよね。だから月並みですが、生きているだけで本当にすごいことだなとあらためて感じています」
乗客の方々に対する思いにも変化があったそうです。
「お母さんみたいな気持ちが出てきたというか(笑)。家でお母さんが『大丈夫?』とか『いってらっしゃい』と言っているイメージでしょうか。その裏側にはやはり『無事に帰ってきますように』という願いがあって。あと、電車という場の主役はやはり乗客の皆様です。私はあくまでアナウンスをしている人。でも、アナウンスによって少しでも前向きに皆様の心に寄り添えたらという思いがあります。子育てを通して、この気持ちはお母さんの深い愛情と似ていると気づいた時に、もう大丈夫だと思いました」
森谷さん流オン・オフ切り替え術
子育てを通してさまざまな自分を肯定できるようになったという森谷さん。一方、日常では細やかな感情に揺れ動くこともあるといいます。そうした雑念がアナウンスに影響しないよう、いろいろと工夫をしているそうです。
「普段は『あぁ疲れた、部屋片付けなきゃ、料理も作らなきゃ』なんて常に考えながら生活しています。子どもに対して強く言わなければいけない場面もありますし。でもそれらを現場まで引きずるとアナウンスに影響が出るので、切り替えはかなり意識してやっています。心がけているのは、まずは事前に調べた情報をもとに乗客の皆様のお顔を思い浮かべること。そして強く温かいお母さんのイメージで、皆様の無事を祈りながら、いってらっしゃいと見送る。そんな人物になりきることで、目先のことに振り回されず本来の目的に集中できるようになります」
体にできるだけネガティブな音を蓄積しないために
普段の生活のなかでも意識していることがあるそうです。
「強めの音や感情をそもそもあまり発しないように気をつけています。たとえば子どもがなかなか片付けをしないとき、つい『いいかげんにしなさい!』と言いたくなりますが、後の現場のことを考えるとそういう強い言葉を自分のなかに蓄積したくない。だから感情が揺さぶられる時でも、できるだけ別の方法で対処する癖がついてきました。たとえば怒鳴るかわりに『よーし、じゃあ10秒で! できなかったらバイバイしちゃいま~す』とゲームのようにしてみたり。もちろん、メンタルにある程度の余裕がないとできません。実際できないときもあります。そういうときはそれでいい。そのかわり一回で終わらせるようにします。『はい、片付けて』って。そういうことの積み重ねで、できるだけ自分のなかにネガティブな音やエネルギーを定着させないようにしています。いろんなパターンを試しながら、少しでも自分にとって楽な選択肢を模索しているところです」
プライベートでは育児に奮闘しつつ、東京メトロの「声」を守り続けるための努力を惜しまない森谷さん。子育ての瞬間を味わいながら常によい状態で仕事に臨むためには、自分自身のコンディションを保つことが重要と語ります。最終回となる後編では、森谷さん流のコンディショニング術や、目下目指しているという「自分にもまわりにも優しい子育て」について詳しく伺っていきます。
取材・文・編集:岸 志帆莉
後編はこちら:
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