多くの人が関わる「チーム育児」のメリットを、子どもの視点から考える

すこし前に、国や地域によって子どもへの関わり方が大きく変わるという話をしました。

目や耳を使って愛情を伝えるドイツに、全身のふれあいで愛情を伝えるカメルーン。もちろんすべての家庭に当てはまるわけではないと思いますが、一例として興味深かったので取りあげてみました。


このように、子どもへの接し方は国や地域、あるいは家庭によっても異なります。だからこそ多くの人と関わりながら子育てをすることで、親子ともに豊かな人生を歩むことにつながるのだと思います。


子育てに多くの人が関わるメリットは、すでにさまざまな形で話題になっています。とくに親側へのメリットは、共働きの広がりとともに注目されるようになりました。しかし子どもへのメリットについては、まだ十分に語り尽くされていないような気がします。


そこで今日は、子育てに多くの人が関わることの良さについて、子ども側の視点から考えてみます。


子どもがより健康で安全に暮らせるようになる

まず多くの人が子育てに関わることで、子どもがより健康で安全に暮らせるようになります。


具体的には、多くの人が関わることで子どもの生存率や健康状態がアップします[1,2]。たとえば妊娠出産期から他者が関わることで、より安全なお産につながり、ママの産後うつのリスクも下がります[2]。心身ともに健康でいられれば、育児関係の情報やスキルも得やすくなり、子どもにとって理想的な環境が整えられるようになります[2]。その結果、子どもの生存率や生活全体の質が上がります。


また子育てに多くの人が関わることで、虐待のリスクが下がります[3]。これも長年の研究の積み重ねによって証明されていることですが、多くの人や組織からのサポートを受けられると、親の孤独感が軽減され、虐待の防止につながります。行政の支援等はもちろん、ご近所や友達など身近な人々の支えや、オンライン上のつながりなども孤独の緩和につながることがわかっています。


子どもの孤立を防ぐことができる

また多くの人々が子育てに関わることで、子ども自身の孤立を防ぐこともできます。


これは一例ですが、たとえば虐待や親との離別など、子どものころに体験したさまざまな逆境をACE(Adverse Childhood Experiences: 逆境的小児期体験)といいます。


ACEを抱える子どもは、そうでない子と比べて、大人になってからも心身の不調や人間関係に苦しむことが多いそうです[4]。またそれをきっかけに孤立に陥るリスクも高まるといわれています。


しかし、ACEを抱える子でも、人とつながることでそうしたリスクを軽減できます。しかもそのつながりというのは、必ずしも密接な関係性でなくていいそうです。たとえば週に一回会うピアノの先生などでも、孤立防止に大きな役割を果たせることがわかっています[5]。自分を気にかけてくれる人が社会に一人でもいるということが、子どもに生きる力を与えてくれるのですね。


子どもの心や学力の成長にもつながる

さらに、多くの人が子育てに関わることで、子どもの心や学力などにもよい影響があらわれます。


海外の研究によれば、親以外に普段から関わってくれる人が一人でもいると、子どもの心や認知力がより発達するそうです[6]。祖父母などはもちろん、たまに訪問して遊んでくれる学生ボランティアのような緩やかなつながりでもよい影響があります[5]。夫婦ふたりで内にこもった子育てをするより、たまにでも第三者が関わったほうが子どもがよりよく育つということですね。


と、ここまで他者が子育てに関わるメリットについて、子ども側の視点から考えてみました。しかし、伝えたいことはここで終わりではありません。


まわりのサポートを得ながら子育てをしていくことは、子どもにとってこれだけのメリットがあるのだから、ママたちはどんどんまわりを頼ろう!自分だけでなく、子どものためにも!


ということが、この記事で最も伝えたいメッセージです。


ふだんママ同士で会話をしていると、「人に頼ることって難しいよね」という話によくなります。なんでだろうね、とさらに深く話をしていくと、


「自分よりもっと大変な人はいるから」

「自分はまだマシな方だから」

「子育ては大変が当たり前だから」

「親やそれ以前の世代も頑張ってきたから」

「まわりの目や世間の声が気になるから」

「頼ったところで負担が減るかわからないから」

「自分が楽になるためという理由で人を頼ることはできない」


などの声がつぎつぎと出てきます。


私自身、こういうことを思いながら日々子育てをしてきたので、ことごとく共感します。とくに自分の親や職場の先輩ママさんたちの姿を目の当たりにしてきたら、「上の世代も大変だったから」と思うのは当然だし、ゆえに「子育ては大変が当たり前」「自分が楽になるために人を頼ることはできない」と思ってしまうのも仕方ないことだと思います。


でも、これが自分のためではなく、子どものためだったらどうでしょうか?


「子どもに元気に育ってほしいから、まわりを頼る」

「子どもを孤立させたくないから、まわりを頼る」

「子どもによりよく成長してほしいから、まわりを頼る」

 

こう視点を変えてみると、少し考えが変わったりしないでしょうか?


しかもそれが、社会のためにもなるとしたらどうでしょう。


まわりをうまく頼れる親が増えることで、直近では虐待や乳幼児殺害といった悲しいニュースが減り、より安全で明るい社会につながります。さらに将来的には、


・心身ともに健やかな子どもが増える

 →将来、彼らがより健やかで明るい社会を作っていってくれる

・「人同士が助け合うのは自然なこと」という価値観をもつ子どもが増える

 →より寛容で思いやりに富んだ社会につながる


こんな未来が待っていたら、素敵だと思いませんか?


つまり、親たちがまわりをうまく頼りながら子育てをしていくことは、社会全体の利益(=ソーシャルグッド)にもつながると私は考えています。


だから子どものためにも、社会のためにも、ママたちはもっとサポートを求めてほしいし、私自身もためらわずサポートを求めていきたい。そして、自分も将来なんらかの形で次の世代にサポートのバトンを渡すことができれば。


そんなふうに思っています。


参考文献

[1] Sokol-Chang, R. I., Burch, R. L., & Fisher, M. L. (2014). Cooperative and competitive mothering: From bonding to rivalry in the service of childrearing. In M. L. Fisher, (Ed., 2017), The Oxford handbook of women and competition (pp. 505–528). Oxford University Press. https://doi.org/10.1093/oxfordhb/9780199376377.013.29

[2] Collins, N. L., Dunkel-Schetter, C., Lobel, M., & Scrimshaw, S. C. (1993). Social support in pregnancy: Psychosocial correlates of birth outcomes and postpartum depression. Journal of Personality and Social Psychology, 65, 1243–1258.

[3] Thompson R. A. (2015). Social support and child protection: Lessons learned and learning. Child abuse & neglect, 41, 19–29. https://doi.org/10.1016/j.chiabu.2014.06.011

[4] Davies, E., Read, J., & Shevlin, M. (2022). The impact of adverse childhood experiences and recent life events on anxiety and quality of life in university students. Higher education, 84(1), 211–224. https://doi.org/10.1007/s10734-021-00774-9 など

[5] Diamond, J. (2013). The world until yesterday: What can we learn from traditional societies?. Penguin.

[6] Hrdy, S. B. (2009). Mothers and others: The evolutionary origins of mutual understanding. Harvard University Press. https://doi.org/10.2307/j.ctt1c84czb

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